自分自身でありたいとおもう。

心地よく人生を生きるために、いつも自分自身でありたいとおもう。


自分は何者なのかを掴めていないと、どのように弊害があるかというと、


自分の作った「こうすべき」みたいな観念の呪縛から逃れられず、本来の自分が好ましく感じる行動に許可を下ろせなくなったりする。


例えば「結婚すべき」とか。


かつての私は35歳くらいからずーっとこの考えに強迫されていた。(今38歳)


本当の私は、結婚とか家とかの枠を先に作ってしまうと自分で勝手に固いルールを作ってしまい自分をがんじがらめにしてしまうタイプなようなので、結婚ありきではなく、いい人と一緒に住んでいたら結婚という形が一番メリットがあるからした、みたいな流れがしっくりくることが最近わかった。


だから、いい年して結婚してない自分に許可を出すことを最近やっとできるようになった。


なんでできるようになったかというと、頭の思考より、お腹が感じてることを感じようと努力するようになったからかしら…?


お腹はあんまりうまく答えてくれず、身体の一部分の違和感とかでサインをくれるのみなんだけど、じっとそこを感じきってみると、なんとなく、頭じゃない自分のありようが掴めてくる気がしている。


「結婚しなきゃ、でもこわい!」


というお腹の声。
(流行りでいえば子宮なのかな?)


「こわいこわい、こわーい!」


「なんでこわいんだろ、結婚なんかして家庭を作っちゃったら、家族という支配の下、パパとママと暮らしていた時の精神的窮屈さを私はまた味わいたいの?そんなのもう味わいたくないよ!」


…ああ、なるほど。家族イコール支配と、私はネガティブに考えてるんだ。。だからいつまでも結婚という路線にいかないんだ。そりゃーやだよね、結婚。と自分の本当の気持ちに気がつき、納得したのは1年前より最近。


納得、ってことは、受け入れたってこと。


そんなダメダメな自分に許可できたのだった。


そんな風に一部の自分自身が統合できたら、あれよあれよと一緒にいて心地よい人が見つかり、半年後には同居するようになって今に至っている。


あ、自分自身になりさえすれば、ものごとは心地よい方向に動いていくんだと実感した次第。


もはやほんとに、結婚は二の次になった。


そりゃープロポーズされたことないからされてみたい願望はあるけど、ただのしてみたい経験を優先させるより、生活の心地よい実感の方がどう考えても大切だ。


今の私にとっては心地よい暮らしが先。


ただただ私が気持ちいいとおもうことを味わっている最中だ。



養ってもらわずに働かないことも、その気持ちいいことのひとつで今同時並行で試し中。

働いていないこと

私は現在働いていないのだが、


「健康な大人は働かなければならない」


という強固な社会観念が、


ぐらぐらと揺らぎつつある。


10年間、ニートやひきこもりの若者の生活支援や就労支援、訪問支援をやってきて、NPO職員はお給料もそんなにアレだし、独身アラフォーが自立して生きる手段としてはちょっと弱い…ここで一区切りして、これからの道を考え直そう。


そんな風に思って辞めた。


ちなみに貯金は50万円以下。


それなのに、


働かないことが、


単純に「ただ暮らすこと」に集中して、


求められるままに人に会ったり


姪や犬の面倒を見たり


お手伝いして


時々元職場に遊びに行って、


あとはぶらぶらしてることが、



こんなにしみじみイイなんて…。


今そう思っている。


社会人になって14年間、お休み期間がなかったから、私にとっては今すごくよい時間になっていると思う。


今だけの感情かもしれない。


でも、楽しいのだ。


たとえ後々楽しくなくなって苦しくなったとしても、貯金がまったくなくなったとしても、今の心がとても充実しているから後悔しないと思う。


働いてないことへの焦りがまったくないなといえば、それは嘘になるけれど、こんなに心がゆったりしたことは社会人になってからほとんどなかったと思う。


自分の心を楽しませること、充実させること。


単純に働くことよりも、人生において大切なことだなと思った。


お金がないことについては、7歳離れている妹が、


お金のことは、必要になった時にはなんとかなるものだから


と力強く言ってくれ、本当にそうだなと思った。


思えばこれまでも、


やりがいのある仕事とはいえこんなにお給料が低くても、


大物家電をもらえたり、


食べ物や洋服が回ってきたりで、


お金に困らなかった。


というか、海外旅行までできている。
(行ってみたかったベトナムは仕事で行けた)


私の趣味は、


ものを最小限にすることだったり


ブログやツイッターだったり


昔はフリマ大好きで、


お金がかからないことばかり。


お金のかかることといえば茶道は今長期お休み中だし


旅行は年に1、2回あれば満足。


お金は不安を打ち消してくれるので大好きだけど、


キャパオーバーだと扱い方がわからないので、


今までのように、必要なだけやってくる人生の方が性に合ってるかもしれない。


だから、今の生活は今のタイミングで私にすごく必要なことで、だから心がこんなに喜んでるんだって思える。



ところで肥料になると聞きつけて、ルイボスティーの出がらしを観葉植物のガジュマルちゃんにあげた。


ガジュマルちゃんも心が喜んでるといいな思いながら。

懐かしのコッペ「盛岡製パン」


気がつけば最近はパンづくし。

近所に出来たばかりの「盛岡製パン」。
ホイップパンが大好きなので、おやつに購入。


でかい。ずっしりな重さ。
フルホイって、三種のフルーツホイップの略なのね。


でかい。


でかい。具がたっぷり


コッペ、ふわっふわ。


いっき食いするには大きすぎるけど、280円で贅沢な気分になれます。


ホイップコッペパンとか、もはやケーキじゃないか…。


パン屋激戦区の近所。
新しいお店が出来ては潰れ、潰れては出来るを繰り返しているのだが、ここは続きそうなニオイがするぞ〜。


コッペパンの専門店で、数々のトッピングを選べるのが魅力。ジャージャー麺のトッピングまである!伝統的なのはあんことバターの「あんパター」。


調べてみると、盛岡市民のソウルフードな70年続く伝統のコッペパン専門店は「福田パン」。最近テレビで見たことある!ふわふわのコッペパンに大量のトッピングから選べるスタイル。盛岡製パンとおんなじ。ていうか、こっちが本家か…。


盛岡製パンさんは、この岩手のコッペパン文化を東京方面に持ち込んできてくれたのでしょうか。ありがとう!!


またお世話になります!

ラジオで英語

最近ラジオを聴きながらお勉強。
高校1年生レベルくらいの難解でない英語。


ただラジオを聴くだけじゃなくて、朝起きた直後に、日本文から英文が出てくるまで何度も口頭練習している。


なかなか頭がスッキリしてよい。
私にとっての、脳トレだ。


本当は、日本文さえも頭に入れて英文1ページを暗唱出来るほどになると、英語の脳回路が強化され、英語を話す時にパッとセンテンスが出てくるようになったり、リスニング力があがったりと、いいことづくめなのだ。


これは10年以上前に通っていた英語の学校で特訓して、トイックを100点上げた結果となって表れたので、断言できる。


今はここまではやらず、楽しみながら日本文→英文を練習。日に日に成果が上がるのが実感できて楽しい。


あと、あまり難しくない英語をたくさん吸収するというのも私向き。


あまり難しいとすぐに諦めて挫折するので…。



今仕事をしていないので、好きなことを日課に取り入れてみているのたが、英語レッスンはその一つだ。


あとは、朝のスムージーと、軽〜い腕立て、腹筋と股関節ストレッチで体重コントロール。また夜は炭水化物を極小に。


アラフォーなのに今は働かないのが超たのしい!

納豆パン

地域のお祭りに顔を出す。
小さな公園。


納豆パンに目が釘付け…。


納豆パン。


お味のほどは…。


納豆と、パン。の味だった…。
あっついから、お口の水分かなり持ってかれるし。
食べられなくは、ない。
トップにのってるマヨネーズは合う。


でも、やっぱり納豆はご飯だ。
パスタもいいけど。



食後は友だちの子どものリクエストで一緒に盆踊り。


浴衣姿の自治会マダムたちの見よう見まねで盆踊り。グルグル、クルクルけっこう楽しかった。

身軽に引越し準備

家賃を抑える為に引越してみることにした。


その為に色んなものたちを片付けて、手放した。


阿蘇のバターキャラメルの箱で作ったメモ帳。


京都でガチャした舞妓さんミニフィギュア。数百円なのにちゃんと出来てる〜。


後ろ姿も美しい…うっとり。


毎朝白湯を沸かしていた銅のミルクパン


ガス代をかなり浮かせた、お鍋の保温調理器。1分沸騰、20分放置でごはんが出来た。


愛すべき陶器たち。


ローテーブルや小机なども。


リサイクルショップで引き取ってもらったり、寄付したり。(さすがに手作りメモ帳はゴミ箱だけど…。)



別れは、苦手だ。モノであっても。
どれも大切に思ってた存在だから、心が痛む。


でも身軽になりたいから、大切にためておいたものは、定期的に流して循環させる必要があると思っている。


そして身軽になってみると、今度はより一層大切なものがやってきたりするのだ。


人生はその繰り返し。
らせん階段だ。


切ないけど、美しい行為にも思えるし、そして楽しい。


人生5回目の引越しだけど、引越しが好きなのは、らせんが一つぐるっと上がる感じがするからなのかもしれない。