自称生き様研究家

自称生き様研究家を名乗りたいと、ふと考えてみる。


まず、自分自身が結婚出産を本当にしたいか、いつまで経っても分からない。

いつまで経っても青春時代のように迷いの中にいる。

いつでも沢山ある選択肢を、コレもいいアレもいい、またアレはやだコレはやだと思ってしまい、まったくもって潔く選び取ることが出来ない。


また、ニートひきこもり支援をする中で、いわゆる「ふつう」になりたかったけれど自ら諦めて、申し訳なさそうにひっそりと生きようとしている様を見るたび「なんかおかしいぞ」と思う。


一方で、そこから一歩踏み出したら何かが吹っ切れて、今は収入や職業形態にこだわらずにやりたいように自活している卒業生たちがカッコよく、まぶしく見える。


そして私自身、まだ心がひきこもり状態だと気づく。


何かを怖がっている。


本当に、部屋の壁に守られた中でしか安心出来ない心境がわかる。


そんななので、私に出来ない、していない生き様をしている人を知ると興味津々になる。


子育てをしている友人も。


長野の山奥で3ヶ月だけ農作業の労働で得たお金で1年間を暮し、ガスなし、風呂や料理は薪を使い、トイレは水洗でなく、1日20キロを歩くという江戸時代のような生活を望んでしている元同僚も。


はたまた、ネット上にいる、風俗業をしながら生活している女の子たちの気持ちもとても知りたい。

とか思って今日も色々ネットを見る。


これはもう、「生き様研究家」として、色んな人を取材してまとめたらいいんじゃないかと思う。

ていうか、それ楽しそう…。


自分がどう生きたらいいのかわからず迷走中なので、人の生き様を知って満足しようとしてます…。


ちなみに、「生き方」じゃなくて「生き様」がいい。

生きるって方法論では語れないと思うから。


本当は、「面白い」「楽しい」に従ってれば何やったっていいと思うんだけど、「先のこと考えて」という考え方があったりでそうもいかないとか思っちゃうのがまた、人生。