迷惑をかけて下さい
「もっと人に迷惑をかけて下さい」
と言って若者を支援することがある。
周りに迷惑をかけたくないから、
問題を自分だけで処理しようとし、
自分を閉ざすけれど、
結局処理しきれなくて
心身にダメージを負い潰れてしまう。
本人だけじゃなくて、
親も同じ様に思っているから
ただでさえ核家族なのに、
家族がさらに閉じていき、
その問題が家族以外見えなくなる。
人に迷惑をかけてはならないというのは、
かつての日本の美徳かもしれないけど、
今は悪しき固定観念の一つになることもあると思う。
収入がそれなりにあるなら、
人に頼らずお金で生活が成り立つけれど、
収入がそれほどない若者がたくさんいる今は、
人に頼ってこそ生活が潤うことになる。
どんな考え方であれ、豊かな気持ちで生活できるならそれでいいのではないかなと思う。
一応断っておくけれど、それは「お金を貸して下さい」という種の迷惑ではない。
以前ならお金で得ていた豊かさを、お金の代わりに人に迷惑をかけることで精神的に生活を豊かにするというイメージだ。
容易に想像できるかもしれないが、
具体的には、
一緒に持ち寄りでご飯を食べたり、
一緒に物品をシェアしたり。
他にも色々あるのではないかな。
そしてその土台にある、日常の考え方では、
人に何かを頼んでいいんだ、
人の言うことを拒否してもいいんだ、
人に自分のヘルプを訴えていいんだ
というようなこと。
結局は、幸せであれば人に迷惑をかけない生き方を選択するのもアリ、
その一方で、人に迷惑をかける生き方もアリだろうと思う。
自分が人に迷惑をかけるなら、人の迷惑を受け止める心のゆとりも育まれ、器が大きくなっていき、人としても豊かになれると想像する。
少なくとも私は人に迷惑をかけながら生きてゆくのでしょう。
コミュニティ創作
仕事柄か、色んな「居場所づくり」を目指す人々と出会う。
精神的に生きづらさを抱える大人たちと一緒にご飯を作ってわいわい食べる場所や、
不登校などで学校へ行かない10代からニートひきこもり状態の20代前半の若者たちの為の遊び場など。
逆に言うと多種多様なコミュニティの場が実際に不足しているのが現状なのだろう。
私は自分が色々と弱いなって感じるから、弱い者同士で群れられたら安心できるって思う。
今はそれを職場の特殊な環境で補ってもらっている。
ニートや元ひきこもりの子たちと談笑したりごはん食べたりヨガをしたり、はたまたお遍路に一緒に行ったりと。
仮にいつかこの職場を離れたとしても、こうした「自分がホッとできる場所」は持っていないとな、と思う。
家と殺伐とした職場の往復だけでは、とても身が持たないでしょう。
時々友人とごはんを食べることも含め、複数の小さな居場所を持っておくことが、日々を生き抜く糧となる。
私はコミュニティをつくるとか、そういう積極的なのは苦手である。
でもそんな大それたことではなく、自宅に少数の友人を招くことだってコミュニティづくりの第一歩だ。
しかも会社勤めとか結婚とか社会の一般的なレールを降りて好きなように生きていくとするなら、息を抜ける場・環境というのはますます大事なその人にとってなくてはならない部分となる。
そういえば今日も息抜きに励みに励んでいた。
私は息抜きの為に仕事してるようなもんだ。
マイスローガン:「群れたっていいじゃない」
自称生き様研究家
自称生き様研究家を名乗りたいと、ふと考えてみる。
まず、自分自身が結婚出産を本当にしたいか、いつまで経っても分からない。
いつまで経っても青春時代のように迷いの中にいる。
いつでも沢山ある選択肢を、コレもいいアレもいい、またアレはやだコレはやだと思ってしまい、まったくもって潔く選び取ることが出来ない。
また、ニートひきこもり支援をする中で、いわゆる「ふつう」になりたかったけれど自ら諦めて、申し訳なさそうにひっそりと生きようとしている様を見るたび「なんかおかしいぞ」と思う。
一方で、そこから一歩踏み出したら何かが吹っ切れて、今は収入や職業形態にこだわらずにやりたいように自活している卒業生たちがカッコよく、まぶしく見える。
そして私自身、まだ心がひきこもり状態だと気づく。
何かを怖がっている。
本当に、部屋の壁に守られた中でしか安心出来ない心境がわかる。
そんななので、私に出来ない、していない生き様をしている人を知ると興味津々になる。
子育てをしている友人も。
長野の山奥で3ヶ月だけ農作業の労働で得たお金で1年間を暮し、ガスなし、風呂や料理は薪を使い、トイレは水洗でなく、1日20キロを歩くという江戸時代のような生活を望んでしている元同僚も。
はたまた、ネット上にいる、風俗業をしながら生活している女の子たちの気持ちもとても知りたい。
とか思って今日も色々ネットを見る。
これはもう、「生き様研究家」として、色んな人を取材してまとめたらいいんじゃないかと思う。
ていうか、それ楽しそう…。
自分がどう生きたらいいのかわからず迷走中なので、人の生き様を知って満足しようとしてます…。
ちなみに、「生き方」じゃなくて「生き様」がいい。
生きるって方法論では語れないと思うから。
本当は、「面白い」「楽しい」に従ってれば何やったっていいと思うんだけど、「先のこと考えて」という考え方があったりでそうもいかないとか思っちゃうのがまた、人生。
カジュアルひとすじからの、コンサバへ路線変更
服装について。
20年間、カジュアルひとすじだった。
童顔にかこつけて、化粧は常に手を抜き、髪は染めず、Tシャツやリネンシャツ(秋冬はカットソーにカーディガン)、ボトムスはジーンズ、バッグはリュックと、30代後半になってもいつも学生のような格好だった。
周りからは、若く見られていいじゃん!とか言われることが多いけれど、ふつふつと、私の中で、何かがちがう…。と思うようになった。
シンプルライフが好きなので服を減らしたくて、制服のようにTシャツやカットソー、カーディガンやパーカーとジーパンや綿パンの組み合わせをパターン化し、どんどん断捨離していったのが1年前。
おかげでかなり服は減ったのだが、余計なものが削ぎ落とされたことで、私の中からムクムクと、今までは奥底でくすぶっていた願望がハッキリと沸き起こった感じだ。
それは、
「大人のオシャレしたい!!!(つまりモテたい)」笑
丸顔で口が小さくいつまで経ってもお雛様みたいな童顔のコンプレックスを逆に活かすつもりでカジュアル路線だったけれど、最近複数の友人から「コンサバの方が似合うんじゃ…」と言ってもらったこともあり、ちょっとやってみるかー!という気になった。
ということで、最低限の服の数と、コンサバへの路線変更の両立という冒険がこれから始まる。
旅の統括
旅の総括
①歩き過ぎて右股関節を痛めた。
→昨日整形外科へ…「筋肉や関節の疲労」とのこと。
実に11日間で平塚〜二川の231キロを歩いた。(迷ったりしているので実質距離より多い)
うち1日は台風で足止めを食らう。
しかしながら昔の人は日本橋から京都までの492キロを平均33キロ歩いて15日で到達していたし、現代の人でも同じように歩く人たちがネット上にたくさんいる。
自分には、1日30キロはどうしても無理だったなぁ…20キロを超えるともうアスファルトを蹴る足が痛くて痛くて。さらには帰宅後も続く股関節痛…。
それでも、歩いてとても楽しかった。
股関節は良くはなってきてるので、早く治すぞー!
②歩く時はただただ無心とはいかず、音楽を聴いたり、橋の上や暗闇など怖いところでは般若心経を唱えながら早足で歩いた。
日によってや気分で歩きながらやること違った、という事。
般若心経は暗記しているので、歌のようにして繰り返し唱えると無心に近い感じで歩けた。
怖いときはゾワゾワしながらだったけど。
大きな富士川の橋で般若心経を声に出して唱えながらおじいさんを抜かして早足で歩き、道路について横断歩道の信号が変わるのをボーッとまってたら後ろから来たおじいさんに「ボタン押しなよ」と言われた。
関係ないかもしれないけどなんとなく、般若心経が聞こえて不審に思ったかもな〜、ま、仕方ないか…と思った。苦笑
あと歩きながら色んな過去の感情が浮かんだ時は、詳細は長くなりそうなので省くけど深呼吸しながら「観念浄化ワーク」をしながら歩いた。
これをすると余計な思考や感情がしばらくすると空に浮かんでは消えていく雲のように流れ去っていく。
ひたすら歩きながらの観念浄化は、身体の中がお掃除されるみたいに心地よい感覚になる。
ちなみに音楽は、朝の時間帯や海の付近ではクラシック、国道はエミネムがはまった。
③ホメオパシーが超役に立った。
ずっと天候が悪く時々気圧による頭痛に悩まされた時や、旅慣れないことによる胃の不調の時、緊張によるトイレ問題が起こりそうな時。それぞれの症状に合うレメディーを摂ったらかなり緩和された。
➃一人旅は案外、寂しくなかった。
いつも目の前にやることがあってそれに必死だった。だから余計な感情に溺れる暇がなかったのかも。
だからね逆に普段の方が寂しさを感じるんだなって思った。
あと、人生において心や頭ばっかり巡らせて悩みすぎたりしてきたんだけど、それをストップさせるのはもう身体を使うしかないのか!ってわかった。
私が「京都まで歩きたい」って意味不明なことを思いついた身体の奥底には、こんな魂の叫びがあったのかもしれない。
それから、バックパックの女が一人歩いたりお店に入ると時々親切な人が声を掛けてくれた。ありがたい。
「1人?ご飯食べて行きなよ」とか、
「静岡歩くならここ行きなよ」とおすすめ情報を教えてくれた富士宮の焼きそば屋さんのご夫婦。
そこに来てた常連さんで、「頑張ってる人は応援しちゃう」と豪快に食事をおごってくれた社長さん。
雨が降りそうだったので傘を譲ってくれた蒲原宿のお休み処のおねえさん。
「どこからきたの?1人??大変だねえ」と話しかけてくれた安倍川餅の店主さん。
バックパック姿を釣りの人と間違えて「いいの釣れた?」と聞いてきた自転車で釣りに行くおじさん。笑
丸子のとろろ汁で有名な「丁子屋」で店に入るなり私の姿を見て「東海道歩きですか。奥の座敷だと広重の浮世絵が見れますよ」と声をかけてくれた店員さん。
「1日20キロ?若いんだからまだまだ」と激励してくれたおじさん。
2日連続でお世話になり、本当に色々良くしてくれた藤枝の小料理屋の店主さん。
「暗い道は行っちゃダメだよ。早く帰っておいで」と娘のように心配してくれた旅館のおじいちゃん。
などなど。
本当に、人の存在に癒された。
これを書いていて、ああ旅っていいなあってしみじみした。
歩くこと、美しい景色や土地の名物を味わうこと以外にも、心に残ることがこんなにあった。
もう少し足を鍛えねばならないけど、続きの旅をする時が本当に楽しみだ。